長いあいだ
文藝春秋社の編集者をつとめていた
高橋さんが
いままで出会い、
多くのデビュー(数多くの作家誕生)に
携わってきたから
興味深い…!!
場所は文学界の〈直木賞〉で有名な
臨済宗建長寺派富岡山長昌寺(ちょうしょうじ)
その第39回南国忌が開催され、
供茶、法要が行われた。
そのあと記念講演があり
本日の語る人(講演)は、
1967年早稲田大学卒業後すぐに
文藝春秋社に入社し、
以後は多くの作家のデビューに
携わっていた高橋一清氏!
記念講演「私の会った作家たち」を拝聴した。
入社してすぐに、
文藝春秋社の人気雑誌である
〔2つの編集部〕を担当することに
なったそうで、たいへん多忙な日々を
過ごしてきた。
《文藝春秋社の創業》
同時に「文藝春秋」が月刊雑誌として刊行された。
1955年月刊の文芸雑誌として「文學界」が
刊行された。
長昌寺の境内は
江戸時代に莫大な人気を得た
芋観世音菩薩(芋神様)が祀られたり、
本堂前の庭に樹齢約七百年の
横浜市指定名木古木の柏槇(ビャクシン)があったり、
参道階段が長濱検疫所(幕末の船の検疫所)から
移設されていたりする。
芋観世音菩薩は、九十年程前までは
鳥見塚に祀られていたが
大正から昭和にかけて
金沢区の地域も
海軍の軍事基地化(横須賀鎮守府の創設)に
進む過程で、
この地には海軍基地建設の波が押し寄せ
そのため芋観世音菩薩は
長昌寺に遷されたのだ。
鎌倉時代には、
近くの富岡八幡宮の辺りまで海岸線で
富岡村は漁業の盛んな自然の豊かな地であり
つまり富岡村の辺りまで(現在の金沢区域)
鎌倉地域であった。
富岡八幡宮のうべえじゅう(卯陪従)とは、
卯の日に行う陪従(べいじゅう)の神楽と言う意味で
八百年の歴史ある神事である。
伝統神事「湯立神楽」と同様の
つまり鎌倉幕府時代から
金沢区域は多くの寺院仏閣が立ち並ぶため、
坂東(関東)地方の中で
最も歴史ある土地なのだ。
南国忌は代表作「南国太平記」に由来する。
昭和9年2月に、43歳でこの世を去った
直木三十五を偲ぶため、毎年2月に
墓前祭として「南国忌」が行われてきた。
直木の作品は、綿密な歴史考証をもとにして
大正末期から時代小説を数多く書いた。
時代小説を毛嫌いしていた、
当時の知的階級の知識人にまで
直木の作風は影響を及ぼしたのであり
没後に、親友の菊池寛らにより、
同時に設けられた経緯がある。
新人作家たちの新人文学の
登竜門となって、近代文学界を
盛り上げる役目を担っているのだろう。